Vol.7 法学徒の選択 〜2015年冬、本郷〜
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「上位互換が何人もいる」環境
赤門の先に建つ東京大学医学部本館と美しい洋風庭園
- 冬学期はどんな科目を取られたのですか?
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佐々木(以下略) 必修の法律科目には、民法第3部、民事訴訟法、刑事訴訟法などがあったんですが、それらは全部来年以降に回そうと思いました。
で、この学期に新たに履修したのは、高齢者法、ロシア・旧ソ連法、憲法演習でした。
- 選択科目で、ということですか?
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そうです。この3つはどれも選択科目です。
でもさすがに必修の負債がかさんでいるので、冬学期の学期末試験では憲法第1部と政治学も受ける予定にしました。
この2つは2年生のときに取り残していた必修科目だったので。
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合計で5つということですね。先ほどおっしゃっていた「時間割の密度を下げる」という作戦でいかれると。
※インタビューVol.6参照
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そうですね。ただここでちょっと面倒だったのが、憲法と政治学は駒場2年生の配当科目なので、講義も駒場で行われるんです。
受けられる講義はできるだけ受けたかったので、よく本郷と駒場と仕事場を行ったり来たり移動してました。
いや、面倒とか言っちゃいけないですね、そもそも2年生のときに取れなかった自分のせいなので(笑)。
- 憲法演習というのは、必修科目の憲法とはまた違うんですね?
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そうなんです。演習科目は少人数でするいわゆる「ゼミ」なんですが、学期ごとにどの演習を取るか、あるいは取らないかを自由に選択できるんです。
このときは、年度末に憲法第1部の試験を受けるつもりでしたから、演習も憲法を選びました。
- なるほど、ゼミでも憲法をじっくり勉強できると試験勉強にもなって一石二鳥ですね!
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いやあ、そのつもりだったんですけどね……。ゼミは私には高度すぎました。
先生ももちろんですけど、ゼミ生の皆さんがあまりに優秀で、議論している内容もちんぷんかんぷんでしたし、何を発言していいのかもわからなくて。
ゼミは毎回3時間以上かかってたんですが、その間だいたい下を向いて座ってました(笑)。
一度は発言しないといけない決まりがあったんですけど、自分だけピント外れのことか、そうでなくてもすごくレベルの低いことを言ってたと思います。
- いや、きっとそんなことないと思いますけど。
でもゼミって3時間以上かかるんですか!
それはすごい緊張感でしょうね。
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本当に毎回冷や汗ものでした。
なんとなく興味で法学部に来てしまったけど、こんなに優秀な人たちの中で明らかに自分のレベルは低いし、しかも必修科目はぜんぜん取れてないしで、あれっ法学部来てよかったのかこれって、もしかして卒業できないんじゃないかって、一時期は真面目に思ってました。
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ああ……。でも、先ほどのお話にもあったように、勉強や卒業に不安を抱えていらっしゃる学生さんは他にも多かったのかもしれませんよ。
※インタビューVol.6参照
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でも、他の優秀な学生を見ていてもきりがないんですよね。
この大学は、おそらく99%の東大生にとっては、「自分の上位互換が何人もいる」環境なんだと思うんです。
ただ優秀どころか、きわめて優秀で非凡な方があたりまえにたくさんいらっしゃる大学なので、周りと自分を比べるのは本当に意味がないんだなっていう実感が強まりました。
実際、人と比べてどうのって言ってる学生はほぼ見たことがなくて、多くの方は横ではなくて前や上をまっすぐ見ているというか、自分の勉強に集中していらしたようでした。
私もそうしようと思ったんです。
- すばらしい!
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それで、ゼミでも、わからない恐怖心を抱えて過ごすのではなくて、ちょっとでもわかるところを、「そうそう、知ってるよ! わかるわかる、そうだよね!」みたいに楽しもうと思いました。いやもちろん声には出さずに心の中でですよ、心の中で!(笑)
まあ、ただの気の持ちようなんですけどね(笑)。
なんか、「よかった探し」みたいですね(笑)。こんなレベルでした(笑)。
- いえ、すごく面白い切り替え方だと思います!
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それと、優秀なゼミ生の皆さんが何を考えてどんな動きをしているかを見て、そこからも勉強させてもらおうと思いました。
別に、じっと観察していたとかではないですけどね(笑)。
皆さんひとりひとりの考え方の道筋や論理展開のやり方が違うので、それらをなぞろうと思って、自分の中に落とし込みながら、頭の中で反芻しながら発言を聞いていました。
- そういう見方、勉強のやり方としてとても参考になります。
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このゼミと関係あるようなないような話で、ひとつ思い出したんですけど……。
ゼミでは毎回順番に発表を担当するんですが、発表者はあらかじめ皆さんに配布するレジュメを作らないといけないんです。
で、私の担当回のレジュメ提出の締切の前日が銀英伝のイベントだったんです。
※サントリーホールにて開催されたイベント「銀河英雄伝説 ~Forever Yang~」
荘厳なオーケストラ演奏と共演した「銀河英雄伝説」イベントでユリアン・ミンツ役を演じる
- うわー、大変じゃないですか!
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華やかなイベントでしたけど、レジュメができてなかったので終わったらまっすぐ帰宅しました(笑)。
イベントには友人が何人も観に来てくれて、後で楽しく食事などしたらしいですけど、私は「憲法があるので。じゃっ」って(笑)。
- それは……(笑)。後ろ髪を引かれながらご帰宅、だったのですね(笑)。
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おとなしく文献を読んで朝までレジュメ作ってました(笑)。
- 一大イベントへご出演されてスポットを浴びて……という華やかなお立場から一転して、深夜おひとりで法律学のレジュメ作成というのが、またどなたにもできる体験ではないですね(笑)。
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高齢者法からの学び
大学の扉の向こうに果てしなく広がる法学と文学の世界
- 高齢者法という科目はどんなものだったのでしょうか?
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高齢者法は、アメリカ法の先生がご担当だったこともあってか、アメリカと比較する形で、日本の高齢者に関する法整備や施設の現状などを学ぶというものでした。
それまでまったく知らなかった内容なので興味深かったですし、年齢的にもいろいろ現実的に考えさせられることが多かったです。
この科目もレポートを出したんですが、日本の高齢者の住居問題がアメリカのCCRCから得られる示唆とは何か、みたいなことを書きました。
※CCRC(Continuing Care Retirement Community)とは、高齢者が健康な段階で入居し終身過ごすことができる、継続的なケア付きの共同体です。
- 「高齢者法」という法律があるんですか?
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いえ、高齢者法という科目名ですけど、実際に「高齢者法」という名前の法律があるわけじゃなくて、法分野としての「高齢者法」という意味なんです。
アメリカだけでなく、国内外の高齢者施設について調べてレポートを書いたんですが、いろいろと面白かったです。
たとえば、オランダには「徘徊自由」の村があるそうなんです。
ここには認知症の方と介護者と施設の職員だけが住んでいて、村全体が高い塀に囲まれて閉ざされているんですが、内部にはレストランもスーパーマーケットも美容室も庭園もあって、自由な生活ができるんです。
※オランダのケアグループが運営する介護施設「ホグウェイ(Hogeweyk)」
- 聞いたことあります!
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常に介護者や職員が見守っているので、認知症の方は安全に、好きなペースで、それぞれがしたい生活を送ることができて、徘徊だって、村中どこでも、24時間いつでも好きなだけできるんだそうです。
- 入居者さんの部屋も、施設や病院の部屋みたいなのではなくて、いろいろな種類があるんだそうですね?
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そうですそうです。無理に閉じ込めておくのではなくて、身の安全を守られたままに自由に過ごせるって、すばらしいなと思いました。
徘徊させないようにするにはどうすればいいか、とはまったく逆の発想で、一つの村がそっくり施設になっているという。
- まさに発想の転換ですよね!
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それから、これは国内の施設なんですけど、施設の中でだけ通用する「通貨」を使っているところがあるんです。
実際に紙幣や硬貨の形をしていて、なにかプログラムへ参加したりするときにこのお金で支払って、内職なんかをしたらお金を稼げるんです。
※山口県のデイサービスセンター「夢のみずうみ村」
- 面白い取り組みですね!
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しかも、施設にはカジノがあって、このお金で遊べるんです。ルーレットやトランプなんかで。射撃とかボーリングも。
お金を出したりしまったり、お金の計算をしたりすることが刺激になって、楽しみながら認知症の予防にもなるんですって。
- なるほど! カジノですか!
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通貨とカジノを組み合わせたのって、すごくいい発想ですよね。
大人である高齢者の方が大人として楽しめる娯楽が設けられているのが、ユニークな試みだと思います。
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ロシア・ロシア・ロシア!
- そして、ロシア・旧ソ連法も取られたということですが、ロシアにもご興味をもたれていらっしゃるんですか?
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ええ、ロシアにもソ連にも興味があります。
この講義では、法や政治を歴史的な国家の変遷と一緒に学ぶことができて、とても勉強になりました。
そもそも、ロシア文学が好きなんです。
- ロシア文学もですか!
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はじめて読んだロシアの文学は、これはソ連時代だったと思いますけど、ニコライ・ノーソフの『ビーチャと学校友だち』(ポプラ社)という子ども向けの作品で、これがものすごく気に入って何度も何度も読みました。
大人になってから買い直して、今も持ってます。すごい名作です!
あまりに好きだったので、翻訳者の和久利誓一さんのお名前も覚えていて、和久利さんがお書きになったロシア語の教科書もつい買ってしまったくらいです。
意味わからないですよね(笑)。
※『ロシヤ語四週間』(大学書林)
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翻訳者さんのお名前まで覚えていらっしゃるなんて!
そうやって、子どもの頃からご興味を広げてきていらっしゃったことが、きっと今の佐々木さんにつながっているんですね!
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そうなんでしょうかね。
時代は『ビーチャ』よりも後ですけど、やっぱりソ連時代に書かれた『ニキーチン夫妻と七人の子ども』(暮しの手帖社)も好きです。
これはフィクションじゃなくて知育本なんですが。
児童文学やノンフィクションも含めて多くのロシア・ソ連作品に親しんできた
- 子育ての本も読まれるんですね!
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子育ての本だから読んだというより、単純に興味を惹かれたから読んでみたんですけど、面白かったです。
ロシアに対してもソ連に対しても、文化や教育に興味があるみたいです。
もとを辿るとやっぱり、『ビーチャと学校友だち』の影響が大きいんでしょうね。
- ロシア文学といえば、ドストエフスキーとかもお好きですか?
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ドストエフスキー大好きです!
何人も翻訳者の方が訳されているので、いろいろ入手して読み比べたりしてます。
ドストエフスキー原作の映画も古今東西でたくさん作られているので、機会があるたびに観てます。
『白痴』には黒澤明監督の日本映画もありますよね。
- そうですよね。佐々木さんお薦めのドストエフスキー作品はなんですか?
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たぶん、ドストエフスキーを好きな人はどれも好きになれるのではと思いますよ。
私は『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』、『地下室の手記』、『死の家の記録』が特に好きなんです。
『カラマーゾフ』は、子どもの頃はアリョーシャに感情移入して読んでましたけど、今はイヴァンが一番自分と親和性が高いように思います。
これもそのうちドミートリィやスメルジャコフに感情移入するようになったりするのかもしれませんけど。
作品を読むのって、読み手の年齢とか経験が関わってくるので、同じ本を同じ人が読むとしても、いくつのときに読むかによって受け止め方が変わったりしますよね。
- ああ、それはありますよね。
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作品と自分のタイミングがぴったりあったときに読めるのが両者にとって一番幸せなんでしょうけど、たまに、楽しみなんだけど読まないままに大事に寝かしておいた本をいよいよと思って読み始めると、「あれ? なんかおかしいな」って思うこともあります。
おかしいのは本じゃなくて自分が、って意味で。
本当はもっと楽しめたはずなのに、読み手の自分がその本にちょうど合う時期を過ぎてしまっていたことに気がつくというか。
しまった、寝かしすぎたって。
- そうですね、もっと若い頃に読んでいればっていうことありますよね。
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東大に入って、スラブ文学者の沼野充義先生の文学部の授業を履修できたことも嬉しかったです。
先生が翻訳されたスタニスワフ・レムはじめいろいろな作品をずっと読ませていただいてきたので、講義を聴けるなんて、ありがたき幸せでした。
法学部と文学部の教室が近いので、けっこうよく文学部の講義に入り込んでましたね(笑)。
そういえば、これは東大に入るよりもずいぶん前でしたけど、大好きな作家のバルガス=リョサ氏がノーベル賞を受賞されて東大文学部で講演をされたときに聴きに行きました。
たまたますごく前の席に座れて、目の前でお姿を拝見できたんです。
いやあ、感動しました。
- 実際に講演を聴きに行かれたのですね! それはすごい!
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ロシア文学では、他にツルゲーネフの『猟人日記』もソルジェニーツィンの『収容所群島』もブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』も、いろいろ好きな作品があります。
私は画家の香月泰男さんの絵がすごく好きなんですが、香月さんの「シベリア・シリーズ」という作品群を見るたびに、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を思い出しますし、『収容所群島』を読み直すたびに、「シベリア・シリーズ」を思い出して香月さんの絵を見たくなります。
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文学から絵画に。やはり、お好きなものが連結して広がっていらっしゃって。
それがロシア自体へのご興味にもつながっていかれているんでしょうね。
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小説は原文で読めるともっと楽しいんでしょうけどね。
ロシア語も、いつか勉強したい言語です。
- ぜひ! 教科書ももうお持ちのようですしね(笑)。
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そうですね。準備は万端にしておきます!(笑)
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成人式より美術館
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ロシアといえば、駒場で印象的だった授業なんですが、2年生のときに、「ロシア東欧表象文化論」という授業を受講しました。
これは法学部の授業じゃないので自分で取ろうと思って履修したんですけど。
ロシアの文化や芸術をスライドで見ながら紹介してくださるという少人数の講義でした。
その時期に、神奈川の美術館でロシア・チェコのアニメーションみたいな展示があったんです。
それを、「皆さん、よかったら観に行かれたらどうでしょう?」と先生がおっしゃって。
海岸際に建つ神奈川県立近代美術館葉山の中庭からは富士山も眺望できる
- 授業の課外活動みたいな感じですか?
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そうですね。団体見学の日が授業日でなく祝日だったのと、東京から行くのにけっこう時間がかかる場所だったので、参加は任意でしたけど。
せっかく先生が紹介してくださったんだし、行ってみたかったので喜んで行きました。
美術館は普段からよく行くんですけど、こういう展示は自分では行かないタイプだったので、新鮮で面白かったです。
先生も現地で待っていてくださって、お薦めの展示を教えてくださったりもして。
- そんな楽しい課外授業もあるんですね!
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で、その日が、1月何日だったか、ちょうどその年の成人式の日だったんです。
先生は課外授業のスケジュールを設定した後にそれに気がつかれて、私たち受講生に、「(皆さんが)成人式に行けなくなってごめんなさい」としきりに恐縮されていました。
私は成人式には出る予定がなかったので(笑)、普通に美術館に行ったんですが、現地で先生にお会いすると、「佐々木さん、成人式に行けなくしてしまって本当にごめんなさい」とおっしゃるんです。
とっさになんとお答えしてよいのか、「大丈夫です先生、成人式より美術館ですよ!(ガッツポーズ)」なんて、つい訳のわからない返しをしてしまいまして……(笑)。
- あはは。
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いや、その場で自分の身分を明かすのもなかなか難しかったんです……。
先生は本当に良い方で、授業でもとてもお世話になったので、私の成人式のことをあんなに気にさせてしまって今も申し訳なく思ってます。
普段の授業の後も芸術のお話を伺えたり、私の素人意見を聴いていただいたりと、とてもかわいがっていただきました。
ロシア文学や美術の研究者としてご活躍の、鴻野わか菜先生とおっしゃる方なんです。
今も先生のお名前を拝見するたびに嬉しくなります。
昨年はNHKラジオの「ロシア語講座」の講師を担当されていらして、私も先生の声が懐かしくて聴いてました。
先生の解説のおかげでロシアについての知識がまた少しつきました。
ロシア語はわからないままですけどね(笑)。
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すごいなあ……。佐々木さんが、ひとりの学生さんとして熱心に真面目に勉強に取り組まれて、それが先生方にも伝わって、先生とすごく良い関係を築かれて……。
東大は、佐々木さんが「声優・佐々木望」としてでなくいられる場所だったんでしょうね。
声優さんとしての場所もしっかりお持ちでいながら、それ以外の場所もお作りになって。
それってすごく貴重ですよね。
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そうなんでしょうね。
普通の学生のひとりとしてそこにいられたことは、本当に貴重な体験だったと思います。
その幸せはたしかにありましたね。
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